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●ボルシチはロシアの家庭料理
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ボルシチはウクライナから伝わったロシアの伝統的な家庭料理です。家庭料理ということもあり、レシピは町の数ほどありますが、簡単に言うと牛肉と野菜のスープ。主な種類としてウクライナ風、モスクワ風、ポーランド風、コープ風などがありますが、基本的にはビーツという赤かぶの一種(中は白い日本の赤かぶとは違い、中まで赤い色をしたかぶ)を使用します。ボルシチ独特のあの赤色は、実はビーツの色なのです。
ちなみに、中村屋本店のボルシチはビーツを使用していません。スープの赤色はじっくり煮込んだトマトの色です。 |
| ●中村屋のボルシチ誕生は盲目の詩人エロシェンコとの出会いから | |
![]() オルガンをひく黒光とエロシェンコ |
ボルシチは昭和2年喫茶部開設当時、2大メニューとして純印度式カリーと一緒に発売されました。ロシア料理であるボルシチとインド料理であるインドカリーがなぜ一緒に販売される事になったのでしょう?ここではボルシチと中村屋の出会いについてご説明します。 中村屋に出入りした多くの外国人、その中の一人にウクライナ生まれのワシーリー・エロシェンコがいました。彼は盲目でありながら優れた詩人で、日本の盲学校で学ぶため、大正6年東京にやってきました。しかし来日後、ロシア革命が起こり、本国からの送金が途絶えてしまいます。それを知った東京日日新聞の記者・神近市子氏が、ロシア文学好きでロシア語堪能であった創業者相馬黒光に世話を頼んだのがきっかけでした。 |
| 黒光は、エロシェンコを中村屋のアトリエに住まわせ、ロシア語以外満足に話す事ができない彼の生活の面倒を見たのです。 ところが、エロシェンコはボルシェビキの嫌疑によって大正10年国外退去命令を受けてしまいます。相馬愛蔵は、エロシェンコを逮捕する際中村屋に入り込んで乱闘を起こした警官を告訴し、淀橋署長が引責辞任しましたが、エロシェンコがもどることはありませんでした。 そんな不遇な生涯を送ったエロシェンコが中村屋に残したものがロシア料理であるボルシチ。昭和2年、喫茶部開設で売り出し、純印度式カリーとともに店の看板商品になったのです。 |
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