中村屋のインドカリーに惹かれ、いまも心酔する男

フーズラボ課長 内田 進

新宿中村屋では、インドカリーの味を家庭でも楽しめるよう、レトルトや缶詰が販売されている。その味の開発に奔走しているのが、フーズラボの内田進だ。アルバイト時代にインドカリーの存在に惹かれ、35歳で念願の「カリー部屋」に配属。さまざまな経験を経たうえでの、カリーに対する新たな思いと現在の奮闘を聞く。

「俺たちがつくっているのは、カリーだ」と叱られて

「お客さまや世の中から見れば、中村屋といえばインドカリー。よそのシェフからすれば、中村屋のシェフならインドカリーをつくれて当たり前。だったら絶対に身につけなければ、とずっと思っていました」

内田進がそう思ったきっかけは、アルバイト時代に遡る。

インドカリーと洋食を提供する新宿中村屋旧本店の東館1階「オリーブパヴィヨン」は、週末には売上が100万円を超える多忙な店だった。内田は大学在学中にアルバイトとして入り、就職氷河期の荒波に揉まれ、卒業後も週に6日、調理場で働き続けた。

オリーブパヴィヨンで提供するインドカリーを、通称「カリー部屋」にもらいにいくのは、アルバイトの役目だ。内田は、10人前は入る空の寸胴鍋をふたつ、盆の上に乗せ、その部屋に通った。当時のカリー部屋には、内田曰く「スーパーマリオの登場人物マリオとルイージにそっくりなふたり」が職人として働いていて、アルバイトはみなこっそりその愛称で呼んでいた。

初めてその部屋を訪れた日のことだ。内田が「カレーください」と言うと、マリオが「何言ってんだ、カレーなんかつくってない!」と怒鳴り返した。

「最初は意地悪されているのかなと思った。でもマリオが続けて、『俺たちは、カリーをつくっているんだ!』と言ったんです」

そのときは言葉の真意を図りかねた。しかし、いまならわかる。インド式カリーは、中村屋を代表する歴史的な伝統料理であるということを。「カリー」と正しく発言するのは、朝から晩までカリー部屋で働く職人の矜持だということを。

自分もいつかカリー部屋で働きたい──20代前半の内田の心に火が灯った。

サービスに携わり、お客さまへの中村屋への期待値を知る

内田はアルバイト時代から意欲があった。調理場のチーフに「教えていただけませんか」と食らいつき、食肉の掃除も「あとでやりたいのでとっておいてください」と言いおいて、勤務が終わったあとにやって覚えた。当然、周囲も目をかけ、「これをやってみろ」「オムレツ焼いてみろ」と仕事を教えるようになっていく。

「ザ・職人というような厳しい人がわんさかいました。雲の上の人というか、口をきくのも恐れ多かった。でも、いざその懐に入っていくと、皆さんすごく優しくて、いろいろと教えてくれたんです」

体力もあった。「休憩のたび、(1階の)パヴィヨンの調理場からロッカーのある7階まで、裏階段をダッシュで行き来していました。このころは『俺はやればなんでもできる』って、天狗でしたよ(笑)」。

インドカリーへの興味は日々募ったが、オリーブパヴィヨンはオムライスがカリーと人気を二分するメニューで、多いときには1日500食レベルで売れた。内田は卵を割ってはオムレツをつくる日々に忙殺され、なかなかカリーの真髄には近づけないでいた。

本人曰く「そこそこ使える程度」になったころだ。契約社員にならないかという誘いを受けた。アルバイトとして働いて5年、25歳だった。

その1年半後には、正社員に。だが、今度は2階の「ルパ」のフロアで働くことを命じられる。いずれ店長を務めるにはフロアでの勤務経験が欠かせないからだ。内田にとっては気の進まない異動だったが、やってみると発見があった。

医師会の会長が高級ホテルからタクシーを飛ばしてやってきて、「あそこは飯がまずくていかん。ここのカリーは絶品だな」と満面の笑みを見せる。週5日通う高齢の女性は「私、中村屋が大好きなの」と花束をくれる。一方で、炊いたばかりのライスを目の前にしながら「白いライスをもってきてくれる?」というお客さまも少なからずいた。「よりツヤツヤでピカピカのライス」に対する期待値が高いのだ。

「それまではお客さまと接する機会がなかったので、中村屋がいかにお客さまに愛されているか、出す料理がどれだけ信頼を得ているか、ようやく実感したというか。厳しいお客さまもおられますが、それも期待の裏返しだということがよくわかりました」

貴重な気づきを得たのち、30歳で1階のティーサロンに異動し、調理チーフとマネジャーを兼任。内田がことあるごとにインドカリーに携わりたいと口にするようになったのはこのころだ。それが二宮健総料理長石崎厳本店料理長の耳にも届き、三者面談が行われた。

「そのとき、二宮総料理長から『君は珍しい人間だな。インドカリーをやりたいという人はなかなかいないんだよ』と言われたんです」

当時は3階の「レガル」や5階の「レザミ」など、フレンチや中華が華形だったという。

しかし、「カレーじゃない、カリーだ」と叱られたのをきっかけに、中村屋の屋台骨に触れたいと願い続けていた内田にとって、カリー部屋は念願の職場だった。

35歳、内田はようやくカリー部屋に配属された。

「まさかあんなに怖くて厳しいおじさんたちと肩を並べて働く日が来るとは、と感慨深かったです。やる気に満ち溢れていましたね。暇さえあれば掃除していたし、毎日汗びっしょりかくまで働いた。いちばん前のめりで働いていた時期だと思います」

職人たちからはインドカリーの調理法のみならず、「プレッシャーにのまれず、心身ともに健康でいること」をたびたび諭された。それほど責任重大な任務だった。

この1年が内田にとっては「転機であり、成長期」で、現在のフーズラボでの仕事の基礎にもなった。

料理人から開発者へ。インドカリーへの飽くなき挑戦

その後、内田は地下2階の「マンナ」などを経て、管理職に昇格し、2018(平成30)年にフーズラボ(当時は商品開発課)へと異動した。

目の前のお客さまに料理を提供する立場から、業務用や市販のレトルトカレーを開発する立場へ──。

それは苦難の日々の始まりだった。「カリーの味をつくる」という点では同じだが、まず使える原料がまったく違う。生野菜はほぼ使えず、数十種類以上ある調味料のそれぞれの味や匂いの差異を理解し、配合せねばならない。最初の1年はその勘どころを鍛えるだけで精一杯だった。

「面白いもので、科学の実験みたいに数値化された配合を覚えれば誰でもできるのかというと、そうでもなくて、やはり料理人でなければできないんです。ある意味、勘・コツ・経験の部分がいまだに多いというか」

4年が経ち、楽しいことも増えた。特に「自分が思い描いた味をちゃんとつくれたとき」が最高の気分だと言う。配合というのはセンスや能力に大きく左右され、同じコンセプトだったとしても、開発者が10人いれば10人とも違う味となるそうだ。

「業務用のカリーをつくるときは、コンペで他社と戦うことが多い。そのときに二宮さんがよくおっしゃる『さすが中村屋と言われるくらいの品質』で提出すると、コンペに通るんですよ。自分の開発した配合ですから本当に嬉しいし、難しい分、非常にやりがいがあります」

2019(令和元)年には、本店で提供するビーフカリーの開発も手がけた。実は、2014(平成26)年の本店リニューアルオープン時にもビーフカリーを開発しようという動きはあったのだが、そのときはチキンカリーの味を極めることに集中したという。満を持してのインド式ビーフカリーの開発は、二宮総料理長との二人三脚だった。

「当時は工場で生産に関わっていたのですが、その仕事を定時で終わらせると、笹塚にあったテストキッチンに飛んでいって、そこから肉を漬け込んだり。楽しい思い出です」

二宮からのいちばんの学びは「味を追求していくときの取り組み方」だった。例えば肉であれば、さまざまな種類の中でどれがいいのかを考える。候補が3種類あるなら、3種類すべて、火の入れ加減も含めてテストをしていく。その際、二宮は「このやり方だとたぶん失敗するけど、ちょっとやってみようか」と言うそうだ。

「正直、驚いたんです。失敗するとわかっているのにやるんだって。でも二宮さんはその失敗がいいと言うんですよ。『やってみてダメだったとわかるのは、いい失敗なんだ。それは成功なんだよ』と。失敗で学ぶ、失敗を容認するという考え方は、本当に刺激を受けました」

試行錯誤の末、インド式ビーフカリーは3カ月後に無事完成した。

内田は新宿中村屋で働いてきた25年を振り返り、「行動力のある人にとっては、最高に居心地がいいところ。そういう風土が変わらぬ魅力」と言う。一方で、現在の開発という仕事は道半ばという気持ちも強い。

「弊社のレトルト商品はそこそこ売れているし、品質としてもかなり自信がある。ただ、『中村屋本店の伝統の味』とはちょっと違う気もしていて……。日本人の嗜好に合う本格的なスパイス料理を、皆さまのご家庭に提供したいんです」

目指すは、「全国の家庭にいつもひとつは置いてある」くらいの認知度、愛され度だ。内田はその新たな目標を胸に、今日もラボで味を追求する。

「就職できずにいた自分に、手に職をつけていただいた。一人前になったからには、会社に恩返しをしたい。中村屋は本店もレストラン(支店)もまだまだやれるんじゃないかな。レトルトだって、いまの倍は売れるって信じているんです」

※所属、役職名などはインタビュー当時のものです

ライター:堀 香織(ほり・かおる)
ライター/編集者。雑誌『SWITCH』編集部を経て、フリーに。雑誌『Forbes JAPAN』、「Yahoo!ニュース特集」ほか、各媒体でインタビューを中心に執筆中。単行本のブックライティングに是枝裕和『映画を撮りながら考えたこと』、小山薫堂『妄想浪費』など多数。鎌倉市在住。
https://note.com/holykaoru/n/ne43d62555801