目に見えない数値化できない『おいしい』を求め続ける

生産部 部長 春江達夫

会社説明会で配られたあんまんに衝撃を受け、入社を決めた春江達夫は、社会人生活のほとんどすべてを、中村屋の中華まんの開発・製造に捧げてきた。コンビニエンスストアの台頭に電子レンジの普及……生活様式の大きな変化にも屈することなく、今もなお『おいしい』を追求し続ける原動力を探った。

あんまんが導いた、中村屋への道

現在、生産部の部長を担う春江達夫は、18歳になるまで中村屋のことを知らなかった。春江がその存在を知ったのは、大学進学を機に神戸から東京へ出てきた後のことだ。

大学では栄養学を専攻し、必然的に就職先は食品を目指した。バブルが崩壊する1年前のことだ。就職先には困らないほど選択肢はあった時代だろう。しかし春江は、中村屋の就職説明会で出されたあんまんを口にした時に、あまりのおいしさに衝撃を受け、「ここで働こう」と心に決めたのだという。

「あんなあんまん、はじめて食べたんです。今まで食べてきたものと違いすぎて驚いた。あんのトロリとしたごまの風味も、皮の食感も。もう本当においしくて、今も忘れないですね」。

当時会社説明会が行われたのは、工場が併設されていた笹塚の本社。中村屋の誰もが「中華まんの一番おいしい状態」と言う、工場で蒸したばかりのホカホカのあんまんを、その時の春江は口にしていたのだ。

入社後、実習などを経て配属されたのは中華まんの製造ラインだった。春江は幸運にも、自身を中村屋へと導いた商品づくりに携わることとなった。大卒者を製造ラインに配属すると続かないという懸念から、大卒者の配属を見送っていた中村屋だったが、春江が入社する前年から大卒者の製造現場配属を再開していたのだ。春江は、当時のことをこう振り返る。

「中華まんにかかわる仕事は、会社の花形業務だという誇りがありましたね。実際、売り上げが一番大きな商品だったから、職場もすごく勢いがあったんですよ。今の時代に大きな声で言うようなことじゃないですけど、出荷量が多い分、当時は夜勤とかも平気でありました。定時で帰るなんてことは、まぁなかったなぁ」。

そしてこう続けた。「仕事は見て覚えろ!の世界で厳しかったですよ。会社というより職人の世界です。でも仕事が終わったらみんなで飲みに行っていましたね。結局なんかずっと、仕事の話ばっかりして。飲んだあとに会社の寮に帰る間も、仕事の話をしていたような気がする」。

作っても作っても注文が途切れない中華まん。中村屋を支えているのは自分たちなんだという高揚感がみなぎる職場だったことは、優に想像できる。まさに四六時中、仕事のことを考える日々。春江は青春時代を懐かしむように回想した。

成功も失敗も、結局は人間次第

蒸したてのあんまんは、春江を中村屋へと導いた一方で、入社して30年目になる今も、目指すべき味となっているようだ。目指すということは、辿り着けていないということでもある。それは一体なぜなのだろうか。

「正直なところ……」と言葉を選びながら春江は続けた。「今は皆さん、ご自宅で電子レンジであたためて食べるじゃないですか。以前は自宅で蒸して食べるのが普通だったけど、電子レンジで、あのおいしさを実現するのは簡単じゃないんです」。

1990年代には70%の家庭に電子レンジが普及していることを考えると、20年以上も、電子レンジと格闘していることがわかる。中村屋の開発チームも生産チームも「電子レンジで温めても、皮がかたくならないように柔らかくなりすぎないように、ずっと改良を重ね続けています。だから常においしさは更新され続けていると思う。でも、これで完成だ!と満足してはいけないとも思う」。

また、食べるだけの立場からすれば、中華まんと聞くと「肉まん?あんまん?具材は大きい?あんの舌触りは?」などと、中身の具(以下、中具)を連想するのが、一般的だろうが、中村屋の中華まんの特徴は別のところにあるようだ。製造ラインに従事した後、10年間ほど中華まんの開発も担当。原料にも作り方にも精通している春江はこう言った。

「もちろん中具は大事です。でも、中村屋らしい中華まんの味をつくる技術的な要は、皮だと思うんです」。だからこそ、「皮は小麦粉からオリジナルで、配合も特別。原料高になってもこれだけはなんとかやりくりして守り抜いてきた。ずっと変わらないものですね。

そして中具を皮で綺麗に包むためには、生地の発酵が鍵になるんです。これも、長時間発酵といって中村屋が守ってきた独自の製法です」。

十分な発酵ができていなければ、蒸し器に入れる前に失敗することは目に見えている。発酵が十分なのかどうか。蒸し器に入れる前に、状態を機械で測定できないことはないが、測定している間にも発酵が進んでいってしまうほど、繊細なものだ。だから機械を使うこともまた、現実的なやり方ではない。「生地を指で軽く押してみて、戻ってくる感触がどんなものかで、発酵具合を測るんですよ」。経験がものを言う、これぞ職人という瞬間だろう。レシピを決めるまでの困難をクリアすれば、あとは機械に材料を適量入れて手順を守るだけで中華まんが仕上がってくるわけではないということも、思い知らされるエピソードだ。

すると春江は、「そうなんです」とうなずきながら、立ち上げ準備からかかわった、2018年竣工の武蔵工場について触れた。「例え材料が全く同じでも、気温や湿度が違うだけで酵母の機嫌は変わってしまうから、その日の具合をよく見て扱わないといけない。同じでいい日はないんです」。武蔵工場は、工場内の環境がなるべく同じく保たれ酵母の状態が一定に保たれることを目指して、建設をした。自分がかかわるからこそ、美味しさが保たれるということへの自負はあるけれど、人に頼りすぎることでの失敗を減らしたいという、葛藤の末の決断だった。

「もうこれ以上できないというくらいの対策を打って作った新工場ですけど、でも酵母は安定して言うことを聞いてくれなかったんですよね。結局、大事なところは人が介さないといけないことがわかりました」。最終的には、人の目で指先で、中村屋品質が保たれているかを確認するということだろうか。「だからまぁ、そこに醍醐味があるとも言えますよね。だからいいものができたら本当に嬉しいんですよ」。そう言って目を細めた。

挑戦したからこそ見えてくることもある。挑戦し続けることを当たり前とする中でも、失敗はない方がいいに決まっている。しかし、今や生産部の部長となった春江にも、肝を冷やした経験は幾つもある。生産ラインを預かる者として、不良品を限りなく0に近づけることは、当たり前のように持っている目標であり、常に改良を重ね続けているテーマのひとつだ。その時は、中具を包む機械の設定を少し変えてみたらどうかと考えた。理屈上は正しい。実際やってみたら、どうだろうか。

当時ライン長2年目を迎えた春江は、いつも通り、蒸し上がった中華まんがラインを流れてくる圧巻の様子を待っていた。しかし、次々と出て来る中華まんを目にした瞬間、「やってしまった」と思ったそうだ。そこには、小さく縮み上がった中華まんの行列があった。「ゴミ袋を持ってきて、ただただ不良品として処理するしかなかったですね。僕の権限で試してみたことで、当然上手くいくはずだったんですけど、まさか…。困ったことになったぞと、メンバーと顔を見合わせました」。

不良品を0に近づける改良へのチャレンジは重要だが、一方で、当日中に製造しなければいけない個数は決まっている。失敗をすぐに検証する時間はない。その日は夜を徹して、出荷個数を間に合わせることになったのは、言うまでもなかった。

『おいしい』を届けるという、途方のない夢

例えば武蔵工場だけでも、一日約40万個が製造される中華まん。その一つひとつのおいしさにとことんこだわる姿勢が伝わってくる一方で、「おいしいとは、どういうことなのだろうか?」「中村屋共通のおいしいは存在するのだろうか?」という素朴な疑問が湧き上がる。すると春江は、少しの沈黙のあとに困った顔をして「やぁーそれが難しいんですよ」と言った。

「しょっぱいといったような味覚は数値化できるし、例えば旨味の数値だって出せる。でもおいしいをつくるのは旨味だけじゃない、見た目だって影響しますよね。つまり、おいしいは測れないんですよね」。ここで気づかされることは、「入社説明会で衝撃を受けたおいしさにはまだ届かない」という春江の言葉だ。数値では測れない、でも確かにわかる『おいしい』という途方のないゴールへ果敢に向かい続けているからこそ、今なお届くことがないのだ。

大きな目標に向かう中で、クリアにしていくべき課題もなくなることはない。現在は、個包装に変えた中華まんの品質を理想形にするべく、奮闘中だ。発売できるレベルに達してたとしても、試行錯誤が終わることはない。袋から出して皿に乗せてラップをかける。そんなことをせず、包装された袋のまま電子レンジにかけて、あの味があの食感が再現できれば、何より楽で、お客さまにとって利益しかない。マーケティング部隊からの発案で、みんなで取り組もうと始まった改良だ。

おいしいとは、どうやったら実現できるのか、不良品を出さずに、おいしいは量産することができるのか。ほんの少しの違和感を見逃さない職人としての誇りを胸に刻んで、今日もまた春江は『おいしい』の実現へ向かう。 

「生産ラインで、蒸し上がったばかりのあの格別なおいしさを、お客さまにも味わってもらいたい。これは僕だけじゃなくて開発も生産も購買もマーケも、みんなの夢ですよね。だから、お客さまが家で電子レンジを使って中華まんを温めるにしても、コンビニエンスストアで蒸された中華まんを買うとしても、何とかしてあのおいしさを届けたいんです」。実現できるかどうかもわからないほど、途方もない目標に挑んでいるはずなのに、なぜか春江の声は弾んでいた。

※所属、役職名などはインタビュー当時のものです

ライター:伊勢 真穂(いせ・まほ)
インタビューアー/ライター スペイン生まれ、伊勢志摩育ち。組織人事コンサルティング会社のリンクアンドモチベーションを経て、フリーランスのインタビューアー/ライターへ転身。雑誌『Forbes JAPAN』『ソトコト』『dancyu』『WWD JAPAN』やweb『GINZA』など、ビジネスやカルチャー・フードにファッションと、幅広いジャンルで原稿を執筆中。