味で、言葉で。『おいしい』を届ける

FFマーケティング部 課長 高橋秀輔

「商品開発に携わりたい」一心で、未経験ながら中村屋に飛び込んだ高橋秀輔は、その6年後、数十年に一度レベルと言われる、中華まんをゼロベースで開発するプロジェクトを任されることになる。全社を巻き込む大規模なプロジェクトにもひるまず、むしろ「販売数こそがお客さまからの支持の証」と断言して無我夢中で挑んだ、高橋のモチベーションの源を聞いた。

29歳からの挑戦、中村屋の商品開発

「商品開発に携わりたい」。

高橋秀輔が、前職の商品パッケージ製造メーカーを退職した理由も、中村屋に転職を決めた理由も、この一点に尽きる。総合職ではなく研究所採用という特殊なルートだったが、むしろ確実に商品開発にかかわれると、他社を探すことなく中村屋への転職を即決した。高橋が29歳になる年のことだった。

大学院を出た後、1社目で3年間働いていたため、中村屋で仕事を始めるタイミングが遅かった。そのことは高橋が、自分で自分にプレッシャーをかける理由になった。「早く、急がなければ。29歳になろうという人間が、2~3年後に一人前になるんじゃ、遅すぎる」。

「料理をすることは好きだったけど、家庭料理とはわけが違う。それに僕は、パンを焼いたことがなかったんです。それはつまり、生地をつくったことがないということ。そんな奴がいきなり中華まんをつくるとなって、もう、知らないことだらけでしたよね……」と、高橋は当時を振り返った。

「昼間は普通に仕事をして、夜家に帰ったあとに、製パンの本を読み漁る。そしてポイントをまとめる。なんというか受験生みたいな毎日でしたね」。

昼休みは、ご飯を15分で終わらせて、残りの45分はまた勉強に充てる。座学以外にも、休憩中の先輩をつかまえては、質問攻めにしていたのだと言う。

「基礎知識がないから、仕事をしていても理解が追いつかないんですよ。だからまず自分で勉強するしかない」。仕事以外の時間はとにかくインプットに費やした。

「開発の仕事っていうのはほとんど、9割方が失敗なんです。失敗した時の原因究明が大事で、何が問題か、同じことを起こさないためにはどうするのか。先輩がいなくても自分で理解し判断できるのかを、いつも先輩のそばで考えていました」。休み時間もままならない、頭が休まることのない中にあっても、高橋は充実していた。

「実は、前職と比べると年収も下がったし、休みも少なくなったんです。でもやっぱり、一生やりがいを持って働ける仕事がしたかった。だから、忙しくてもできないことだらけでも、苦労とは思っていなかったですね。それに、尊敬する上司や先輩の下について仕事ができたことが、とにかく幸運でした」と当時を振り返った。

そして、「ただ自分たちがおいしいと思うことを追求するだけじゃない。競争を意識する職場でした。それは競合他社に勝つだけじゃなくて、お客さまのニーズをいかに早く正確に捉えられるかもそうだし、短い時間でどれだけ効率的に仕事をするのかという時間との競争もそう。中村屋全体の雰囲気としては、多少ゆったりとしたところがあるんですが、研究所の中華まん開発部隊は違いました」と語った。

販売数こそが、お客さまからの支持の証

自分たちがおいしいと思うことを、追求するだけでは足りないと考える開発部隊。となると、一体何が基準になるのだろうか。

「やっぱり……販売数です」と、高橋は断言した。

「最初の頃は、改良の度に、自分がおいしいと思うものが、上司や取引先さまに認められるかどうかを、意識していました。ただ途中で、『改良とはつまり、おいしさの更新。なのに 販売数が変わらないとしたら……』と気付いたんです。それって、更新されたはずのおいしさが、お客さまには認められていないということですよね。『おいしいなぁ、もうひとつ食べよう』ということには、なっていないわけだから。だから、例え取引先さま が『おいしくなってるねぇ、来期はこれでいこう』と喜んでくださっても、基準にするべきはやっぱり、販売数だと思います」。

目の前の関係者が、おいしいと言ってくれる様子は励ましになるだろう。自分を満たすだけでなく、開発が成功へと近づいているという事実でもあるだろう。しかし「それではいけない。そこに惑わされずにいきたい」と、高橋は言う。

高橋は、販売数という無機質な数字の後ろに、お客さまの存在を確かに感じ取っているのだ。

それはこんな言葉からもわかる。「中村屋の中華まんを手に取らなかった人が何を選んだか。それは他社の肉まんかもしれないし、サンドイッチやおにぎりかもしれない。小腹が空いた時に選ばれなかった。ということは、負けたってことなんですよ」。

そして高橋は、2011年に着手し翌2012年に発売となった、コンビニ向け肉まんの改良プロジェクトについて振り返った。現時点で、自身の商品開発史上最大のチャレンジとなっただろうプロジェクトだ。

「毎年改良はしているけどそれじゃダメだ、と。わかりやすく、変わった!売れた!という結果を残すことが至上命題のプロジェクトを、メインで担当しました。上司からも、変えられないものは、コンビニ店頭で、スチーマー形式で販売することだけ。他は何を変えてもいいから、ゼロベースで考えろと言われて始まったんですよね」。

つまりは、「何をやってもいいけれど、とにかくお客さまに支持されるおいしいものをつくれ」ということだ。なんと壮大なミッションだろう。

すると高橋は、そうなんですと言わんばかりに、「入社7年目、ものすごいプレッシャーでした」と苦笑いを浮かべた。

「最初はチームではなく、僕個人に降りてきた任務だったんです。だから、自分がやらなければ誰がやるという気合いはあったし、とにかく結果を出すしか道はないと思いました」。

そのためにはまず、社内で話を聞くことからだと、部内の先輩や同僚はもちろん、中村屋の総料理長、二宮健の元にも駆け込んだのだという。たった一人ではじまった任務は、高橋が社内外を駆けずり回ったことに加え、上司の全面的なバックアップによって、次第に全社プロジェクトへと変貌していく。

そして、「何を変えてもいいから」という上司の言葉通りに、結果として、あらゆるものを変えることになった。

「まず、主要原材料と加工設備を変えました。特に、豚肉は特注品にするしかなくて、最終的には協力会社や購買部・生産部の面々と一緒に、アメリカまで行ったんですよ。そして、開発した商品をお客さまに届けるためには、これまでの常温流通からチルド流通にしなければいけないということで、流通も変えることになりました」。

お金も人も巻き込む、社運をかけるようなプロジェクトではなかったのか。すると「後になって、『数十年に一度レベルの改良だったな』と上司に言われましたけど、とにかく当時は必死で」と、高橋は答えた。

「この味で行こう」と決まった瞬間はあったのだろうか。すると「ドラマがなくて申し訳ないんですけど」と笑った後に、こう話した。

「ターニングポイントみたいな瞬間は、本当になかったんですよ。ジューシーで肉の旨みが感じられる肉まんを!と目指してはいたけれど、あるとき急においしくなったんです。不思議ですよね。でも何かが閃いたような記憶もなくて。もうありとあらゆる、考えられ得る手段は全て試していたと思うので、追い詰められている中で、見えてきた道筋だったんだと思います」。

変化を嫌わない。ただ『おいしい』を届けるだけ

数十年に一度の、失敗は許されない、全社を巻き込むレベルの改良。押しつぶされそうなプレッシャーがあっただろう。その中で高橋を支えていたものはなんだったのだろうか。

「ひとつはやはり、おいしいものをお客さまに届けたいという気持ち。手段はなんでもいいんだから、せっかくだったら新しいことやるぞと思っていました。それともうひとつは、上司が自分を指名したということですね。誰でもいい任務じゃない中で自分に声がかかった。だからこそ、絶対成功させようと思いました」。

1年間に及ぶ、この大幅リニューアルの結果はどうだったのだろうか、これまでとは明らかに違う商品を、生み出すことはできたのだろうか。

すると高橋は「いやぁ……」と言った後「実は、劇的に変化はしませんでした」と明かした。

「売り上げは少し上向きましたけど、お客さまの支持を集めきれなかった。でも、翌年に目標売り上げを達成しました。1年間かけてさらにブラッシュアップして、ようやくお客さまから認められる商品になったのかもしれません」。

「ゼロベースで何もかもを変えていい」。そんな号令ではじまった任務だったが、結果として変わらずに伝統を引き継いだ要素もある。それは、中華まんの生地だ。

「生地の製法、特徴的な香りや弾力は、そのまま残りましたね。このおいしさはやっぱり、他社との差別化になりました。必要があれば、生地だって変えてもいいと思っていたけれど、やっぱりこの生地でした」と笑顔を見せた。

1年後に目標としていた売り上げをクリアしたにもかかわらず、高橋には達成感はなかったそうだ。

「感動している場合じゃなくて、ただただほっとしただけです。終わったらまた次の目標がありますから。その繰り返しです。今だって、この中華まんのおいしさを、ワンフレーズで表現したいと思っている真っ只中なんですよ。おいしさを実現する開発フェーズでは、複雑な工程がいくつもあります。でも、出来上がってお客さまに広く伝えるタイミングでは、わかりやすくシンプルに表現したい。でもこれがなかなか、難しいんです」。

他にない中華まんをゼロベースでつくるだけでなく、そしてその特徴をワンフレーズで表現する。おいしさをつくり届ける仕事は、どこまでも果てしない。

「引き継ぐことが重要なわけじゃない。変化を嫌うことなく、最高のものを届けることに貪欲にいきたい。味だけじゃなく言葉でも」。高橋の挑戦は今もずっと、続いている。

※所属、役職名などはインタビュー当時のものです

ライター:伊勢 真穂(いせ・まほ)
インタビューアー/ライター スペイン生まれ、伊勢志摩育ち。組織人事コンサルティング会社のリンクアンドモチベーションを経て、フリーランスのインタビューアー/ライターへ転身。雑誌『Forbes JAPAN』『ソトコト』『dancyu』『WWD JAPAN』やweb『GINZA』など、ビジネスやカルチャー・フードにファッションと、幅広いジャンルで原稿を執筆中。