今、挑むことで『おいしい』は守られ、継がれていく

菓子・中華まんマーケティング部 課長 石川景子

「お客さまはどう思うだろうか」。直売店で培った、具体的にお客さまの顔が思い浮かぶ経験。マーケティング部に異動してからもその背景を存分に発揮し、『中華まんの個包装』という大きなプロジェクトを、自ら問題提起して始めるに至った石川景子。成功する保証はなくても、仲間と何度ぶつかったとしても、諦めない。先人たちから受け取った『おいしい』を次へと継いだ、挑戦の軌跡を聞いた。

お客さまに仲間に。『人』に影響を受けてきた

「中村屋って、もうとにかく、人がいいんですよ」。

菓子・中華まんマーケティング部で中華まんを担当する石川景子は、自分の会社のことを、恥ずかしがる素振りも見せずに、こう表現した。

そして、「3年働いたら、ひと区切り」「若いときにこそ、他社も見てみるべき」と、まことしやかに世間で語られる言葉たちについても、軽やかに笑って否定した。

「若いうちは、他社がよく見えて転職を考えるタイミングも、ありますよね。でも、私には全くなかったんです。直売店の時もマーケティングに来てからも、一緒に働く人たちが好きすぎて。こんな人たちとは、絶対他では出会えないと思うと、辞めるなんて考えもしませんでした」。

石川が影響を受けてきたのは何も、会社組織の中にいる仲間だけではない。お客さまの存在も非常に大きく、それはやはり最初の配属先となった直売店での経験が影響している。

1年目はスタッフとして、2年目は東急たまプラーザ店の店長として、励ましやお叱り、感謝に期待……さまざまな声を、日々直接受け取ってきたのだ。

「目の前にお客さまがいる環境で仕事をはじめたので、基本はやはり『お客さまがどう思うかな』という考えがあります。それはマーケティングの仕事をしている今もそうで、例えば、商品の価格を決めるにしても『この価格で購入くださるだろうか』ということを、まず考えます」と明かした。

マーケティングという仕事の魅力として、華やかさやダイナミックさをイメージする人は多いだろう。しかし、ただ数字だけを追いかけることになれば、実態が見えづらくなり、苦しくなるばかりだとも想像できる。そんな中で、石川がどんな難題も前向きに乗り越えてこられたのは、きっと、具体的にお客さまの顔を思い浮かべることができたからだ。

中村屋の顔とも言える、中華まんに携わることについては、石川は「伝統があるからこそ、やっぱり難しい」と、明かした。

「お客さまをがっかりさせないことは大前提。その上で、おいしく改良し続けなければいけません。楽にできた年はないですね。お客さまからしたら『変わってないな』『何か変えてたの?』と思われるかもしれないけれど、原料が高騰しても簡単に替えることはせず工夫してきましたし。とにかく簡単じゃないんです」。

『変えずに変える』。お客さまが気付かないレベルで改良し続ける難しさは、いかほどだろうか。

『おいしさ』を届けるために、『変える』勇気

『変えずに変える』挑戦のひとつとして、石川は『中華まんの個包装化プロジェクト』について話してくれた。「環境変化とお客さまのニーズを見ていく中で、今変えなければ、今後中華まんの売り上げは伸びない」と危機感を持った石川が、問題提起をしたプロジェクトだ。

お客さまの本音を知るためのアンケート調査は、お客さまの声を聴くことを大切にするからこそ、定期的に行っている仕事のひとつだが、2018年、初めてのビデオ調査に踏み切った。

「同じ方法だから見えてくることもあるけれど、もう少し踏み込んでみるのもいいと思って」。

お客さまがどのように、自宅で中華まんをあたため食べているのか。数分程度の動画を撮影して送ってもらい、それらのデータを分析し、改良のヒントを得るというものだ。

「中華まんにふんわりラップをかけて、説明通りにあたためる」「食べきれない中華まんは、一つずつラップに包んで冷凍庫で保存する」「ふっくらさせるために、中華まんに水をかけてから電子レンジへ」。

送られてきた動画から見えてきたのは、お客さま一人ひとりが、自分なりのあたため方や保存方法で、中華まんを楽しんでいる様子だった。

「あぁ、中華まんはこんなに丁寧に食べてもらってるんだなぁ。大事にしてもらっているなぁ」という感激はもちろんあった。しかし、それ以上に残ったのは「中華まんひとつを食べるのに、こんなに手間をかけさせてしまっている」という反省の気持ちだった。

「中華まんを食べる際のあたため方として、『ラップをしてレンジへかけてください』と記載してはいるけど、受け取り方はさまざまですよね。それに、毎回ラップ代だってかかります。ラップ代なんて小さなことをと思うかもしれないですが、食べる度に必要になるものだから、見過ごせません」。

だからと言って、お客さまの手間にならないように、簡単においしく食べられるように、一つずつの個包装に変更するというのは、あまりにも突飛すぎはしないだろうか。

と言うのも、品質に問題が出ているわけではない、お客さまからクレームが寄せられているわけでもないからだ。原材料を工夫し、『おいしさ』を保ち続けるだけでも十分苦労はあるだろう。しかも、個包装に着手するとなれば、莫大な設備投資が必要になる。

本当に、今すぐに着手すべきことなのか。 おそらく多くの企業で、重要だが今すぐに対応すべきではないとして、後回しにされる事案だと想像できる。

しかし石川は、「問題が出てきてからじゃ遅いんです。お客さまは確実に不便に感じているはず。それに、実際に手間がかかっているわけだから、見逃してはいけないと思いました。最初は正直なところ、『今?本当にやる?』という雰囲気はありました。でも、上司も『やろう』と後押ししてくれたから」と振り返った。

とは言え、上司がすぐに賛同してくれたからといって、マーケティング部隊だけで進む話ではないだろう。すると、「いつものことですが、よくぶつかりました」と石川は笑った。

「こういうことをやってみたいんだけどと話を持ちかけても、すぐに『いいね』とはならない。商品開発や製造からは当然、それぞれの立場で意見が出てきますから。『今本当にお客さまが求めてることなのかな?』とか『その声をもうちょっと具体化できない?』とか。だから今回もまた、真剣に何度もぶつかって進めていきました」。

「お客さまを一番知っているのは自分だ」という自負

「お客さまを一番知っているのは自分だ」と思えるまで、お客さまの声と向き合い、考え、社内でも意見を戦わせる。健全なハレーションだとは言え、なかなか骨の折れるプロセスではないか。

すると石川は、こう話した。「それぞれの立場から言うべきことは言う。いいものをつくるためには必要なことですよね。だからもちろん、聞くだけではなくて、私も思い切り言わせてもらいます」。

率直に意見を口にし、ぶつかり合えるのはなぜか。すると、「子どもの頃から、白黒はっきり させたい性格なんですよ」と笑って前置きをし、「目指すところが一緒だからです」と即答し た。

「お客さまに喜んでもらいたい。お客さまが満足する商品を届けたいという気持ちは、間違いなく一緒だから、だからこそ、ぶつかり合いに意味があると思えます。『おいしさ』をつくる上で、必要な過程なんです」。

自分はお客さまの声を代弁していると信じている。しかし、異なる意見に「なるほど」と納得することもある。

「例えば、商品開発の高橋さんがまた、マーケティングのことをよく勉強しているんですよ。中華まんにかかわるチームのみんなのことを尊敬しているから、素直に違う意見も聞けるのかな」と続けた。

2021年、『中華まんの個包装化プロジェクト』は、全国のスーパーに商品が並ぶことで、実現を果たした。

しかしながら、石川の問題提起から商品の発売まで、実に3年間の月日を要していることからも、数え切れないほどの議論や試作が、繰り返されてきたことがわかる。

個包装へと変化した中華まんは、「温めが楽になった」という多くの声が代表するように、「手間なく食べられたらいいのに」という、消費者の潜在ニーズを見事に捉えることになった。

また、それだけでなく、新たなニーズを生み出すことにも成功。自宅で手軽に食べるだけでなく、個包装のまま外へ持ち出すことができるからと、お弁当にもう一品、おやつ代わりにと重宝されるだけでなく、キャンプへと持ち出すというケースもあるのだという。

お客さまへ『おいしさ』は届いているのか。

最高の状態で出荷して終わりではなく、本来は目の届くはずがない、お客さまが口にする瞬間までも、全員でぶつかり合いながら、全員で追いかけていく。

いつかではなく今、気づいた課題に挑むことで、変わらない『おいしさ』は守られ、継がれていくのだ。

※所属、役職名などはインタビュー当時のものです

ライター:伊勢 真穂(いせ・まほ)
インタビューアー/ライター スペイン生まれ、伊勢志摩育ち。組織人事コンサルティング会社のリンクアンドモチベーションを経て、フリーランスのインタビューアー/ライターへ転身。雑誌『Forbes JAPAN』『ソトコト』『dancyu』『WWD JAPAN』やweb『GINZA』など、ビジネスやカルチャー・フードにファッションと、幅広いジャンルで原稿を執筆中。