食べる、考える、悩む。最後は、祈る

菓子・中華まんマーケティング部 桑原友梨

新人の頃、お客さまから手紙を受け取るという得難い体験をした桑原は、直売店からマーケティング部へ異動してからも、売り場にヒントを求めてきた。そして訪れた、新商品を開発する仕事。苦手だという『決断』を繰り返して、これまでにない、でも中村屋らしい菓子が生み出されるきっかけとなったのは、働きながら子育てをする、自分自身の気持ちだった。

売り場には、ヒントがある

桑原にとって、幼い頃から中村屋は身近な存在だった。

朝ごはんに家族で中華まんを食べる光景は珍しいものではなく、両親は口癖のように「中華まんは、中村屋」と言った。近くに住む祖父母は、中村屋の和菓子をよく食べていた。

「歴史があるからこそ、いろんな世代の人に愛されている。それはきっと、お客さまの方をきちんと向いているからなんだろうな」。

就職活動で再び中村屋に出合った桑原が、子どもの頃から見知っている中村屋の魅力を言葉にすることは、難しくはなかった。

今年で入社15年目。菓子のマーケティングを担い、新商品の開発も手がける桑原が、入社直後に配属されたのは、直売店だった。そして、その頃に受け取った1通の手紙を、今も大切に持ち歩いているのだという。

広島在住、50歳の主婦からの手紙だ。 おそらくその日が初めての来店、東京観光がてらに立ち寄ったようだった。月餅がおいしかったこと、それ以上に桑原をはじめとした接客が気持ちよかったことが、「『円果天』さんだけ雰囲気が違って見えた」「とてもいい気分になりました」という言葉で表現されていた。

桑原は、不安だらけの新人時代に、その後もずっと自身の支えになるような体験を、お客さまから受け取っていた。

『円果天』とは、伊勢丹新宿店にしか出店していない、中村屋のブランドだ。ハレの日の気分で、伊勢丹を訪ねたついでにという、一見さんがいる一方で、常連のお客さまが多いのも特徴だったという。

「常連のお客さまがいらっしゃったときは、必ずお名前でお呼びしていました。あとは、誰かが休みでも、お客さまとどんなやり取りがあったか分かるように、ノートで共有していましたね。お客さまを第一に考える、お客さまを大事にするということは、当時の店長に教えられて実践してきたことです。今も大事にしています」と語った。

桑原の、社会人としての基本姿勢は間違いなく、この頃につくられたのだろう。

マーケティング部への異動は、志願したものではなかった。しかし、「打診を受けたとき、販売の経験が活かせそうだと思いました」と話した。

実際、マーケティング部へ異動して最初に担当することになったのは、なんと、『円果天』。『円果天』での販売経験を活かせるチャンスが、やってきたのだ。

「そんな大それたことでもないんですけど、お客さまが喜ぶかもしれないなと思って」と謙遜しながら、桑原はこう続けた。「菓子折りにつける、メッセージカードを提案したんです」。

マーケティングの仕事は、商品の企画提案だけではない、販促物もその対象になる。桑原は、現場で見てきた、ラッピング事情に目をつけた。

「かしこまらずに商品に添えられる、小さなメッセージカードのようなものがあったらいいんじゃないかと思ったんです。『ありがとう』とか『こころばかり』といったメッセージが入ったものが何種類かあれば、用途に応じて選んでいただけるかな、と」。

大切にしてきた、お客さまとの会話の中に、ヒントは隠されていた。

「お礼の品を探している」「退職にあたって、職場でお世話になった人たちへ送りたい」「ちょっとしたお土産にしたい」。

仰々しく熨斗をつけるほどでもなさそうだけれど、気持ちが伝わるラッピングがあったら......という発想が、メッセージカードというアイデアにつながったのだろう。

マーケティングの要は、決断すること

『お客さまを知っているからこそ』の感性と共に、マーケティング部における桑原の仕事は、動き出した。伊勢丹新宿店限定の『円果天』からはじまり、土産ブランドに地域限定商品......。さまざまな商品のマーケティングを担いながら、2度の産休・育休を経験。

それでも尚、この職場に戻り続けた理由については、こう話した。

「マーケティングの仕事っていうのは、決断の連続なんです。他部署のメンバーに動いてもらって、外部パートナーさんに案を出してもらって、自分が決めなければいけない。なのに、私は本当に優柔不断なんです。この仕事は向いてないんじゃないかって思うんですけど」と前置きをした。

そして、笑顔でこう続けた。「でも、自分がかかわった商品で誰かが笑顔になっていると思うと、やっぱり嬉しくて。SNSで嬉しいコメントを見つけては、スクリーンショットしてしまいますよね。幸せな仕事です」。

SNSで繰り広げられる感想は、当然いいことばかりではないだろう。しかし、直接本音を知ることができる、貴重な場でもある。販売現場を離れ、お客さまと直接言葉を交わせない立場になってからも、桑原は、玉石混淆のコメントから、喜びを見つけ出していた。

そして2021年、桑原は、新たに『デイリー洋菓子(ご褒美喫茶)とあんスプレッド』のマーケティングを、担当することになった。

「洋菓子のシリーズを新しくつくろうと開発がスタートしてから、3ヶ月くらい経った頃に担当に加わったんです。私が加入する前にも議論は尽くされていて、生地で中身を包み込む『包あん』という、中村屋らしい技術を活かすことは、決まっていました」。

洋菓子の新シリーズをつくる。これほど大きなテーマであれば、商品が販売されるまでには、数多くの決断を必要としただろう。

例えば、『ご褒美喫茶』というネーミングも、ウェイターがケーキを運ぶ様子をデザインした、昭和レトロなパッケージも、もちろん、モンブランやガトーショコラ・チーズケーキといったラインナップも、それぞれをどんなおいしさで表現するのかも、決断をしなければいけなかったはずだ。

桑原が企画の取っ掛かりにしたのは、『仕事も子育ても頑張る』『自分だけの時間はなかなか取れない』『甘いものが大好き』という、自分自身のことを思い浮かべることからだった。そしてイメージを広げていった。

『ケーキが大好きなのに、最近食べてないなぁ。わざわざお店に行く余裕はないしなぁ』と半ば諦めつつ、『子ども用のおやつにお徳用のバームクーヘンを買って、自分も一緒に食べている』毎日を送る人たちにとって、おいしいだけじゃなく、『ホッと息抜きできるひととき』まで提供できたら......。

ここまで具体的に、届け先をイメージすることから『ご褒美喫茶』は、はじまったのだと、桑原は言った。

自身を対象としているからこそ、イメージしやすいというのは、あるだろう。しかし、実際の売り場を訪ねて、『ご褒美喫茶』が販売されるときに陳列されるだろう棚を、見て回ったりもした。

それは中村屋のマーケティングの心得でもあるのだと言う。 「自分はまだまだで、目指している途中ですけど、『現場をよく見て、現物をよく食べて、しっかり自分の足で歩いて見に行くこと』を、大事にしなきゃいけないとされています」。

だから、土産ブランドのマーケティングを担当したときは、店頭に立つことを志願した。

「『円果天』と違って、土産ブランドでは、お客さまと直接コミュニケーションを取ったことがなかったから、イメージが持ちづらくて。何日かお店に入らせてもらうことで、実際にどんな風にお客さまが商品をお買い求めくださるのか、知ろうと思ったんです」。

桑原がこれまで担当してきたのは、すでに発売済みのブランド。ということはつまり、売り場がすでにあり、顧客層がある程度固まっているということだ。現場を確認することは、できる。

しかし『ご褒美喫茶』は、新たに発売されるブランドだ。何をどうやって知ればいいのだろう。

全てはこれからという中だったが、桑原はやはり、現場に足を運んでいた。売り場はスーパーと決まっていたからだ。

実際にスーパーに来ているお客さまとなり得る人たちの様子を、自分の目で確かめることはもちろん、棚に並ぶ他の菓子類を把握する。どうすれば、棚の中で埋もれることなく、『ご褒美喫茶』の存在感をしっかり示せるかを、イメージする。社内でパッケージの議論になったときに、自信を持って意見するためでもあった。

考えて食べて、食べて悩んで

たくさんの決断があって、新たな商品が生まれる。中でも、味の決定というのは、至難の業ではないのか。

すると桑原は、「それが……すごく難しいんです」と言った。社内で開発担当者と話をするときに「もうちょっと甘く」とか「滑らかさが足りない」と伝えたところで、それがどの程度か伝えることはできない。共通の指標を持たなければ、イメージするところへは辿り着けない。

だからこそ、「いろんなメーカーさんから出ているいろんな商品を、とにかく食べるんです。高価なものも手頃なものも。味の勉強になるし、『食感はこれに近い』と、相手に伝える指標のひとつにもなるから」と話した。

現場に足を運び、たくさん食べる。できることをし尽くしたとしても、それでも、簡単には「これだ!」という結論は出ない。それでも、結論を出さなければいけない局面では、どうしてきたのか。

少しの沈黙のあとに、桑原はこう切り出した。

「独りよがりになってはいけないけれど、でも、最後は、自分がお金を出して買いたいかどうか。自分が自信を持って、大切な人に薦められるかどうか、です。考えて食べて、食べて悩んで……その上で、優柔不断な私がOKを出せたなら、きっとお客さまにも笑顔になってもらえるんじゃないかな、笑顔になってもらいたいな」。

中村屋の『おいしさ』をつくる要素は、さまざまある。マーケティング担当者の、祈るような気持ちも、きっとそのひとつなのだ。

※所属、役職名などはインタビュー当時のものです

ライター:伊勢 真穂(いせ・まほ)
インタビューアー/ライター スペイン生まれ、伊勢志摩育ち。組織人事コンサルティング会社のリンクアンドモチベーションを経て、フリーランスのインタビューアー/ライターへ転身。雑誌『Forbes JAPAN』『ソトコト』『dancyu』『WWD JAPAN』やweb『GINZA』など、ビジネスやカルチャー・フードにファッションと、幅広いジャンルで原稿を執筆中。